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記憶に残る 日本の芸人 増殖中
 残念ながら寄席に入ったことはありません。しかし昔から「話芸」が好きで、今では「話芸」と言ってもいいような「節談説教」を自分で語るようになったほどですが、このページでは、記憶に残っている「面白い」漫才や落語、その他の芸人を紹介していきたいと思います。

 なお、白文字は動画、黄色文字は画像と音のみです。なおYouTubeの動画は「利用規約違反」などで削除されることがあり、私の気付かない内に「リンク切れ」となる場合がありますので、そうしたケースがあれば、メールでご一報下さい。最近のリンク切れチェックは09年9月3日。
柳家金語楼 林家三平 広沢虎造 平和ラッパ・日佐丸 砂川捨丸・中村春代
早野凡平 東京コミックショウ 唄子・啓助 ダイマル・ラケット エンタツ・アチャコ
てんや・わんや 渥美 清 てんぷくトリオ 人生幸朗・生恵幸子 夢路いとし・喜味こいし
やすし・きよし 漫画トリオ フランキー堺 クレージー・キャッツ トニー谷
イッセー尾形 桂 枝雀 古今亭志ん朝 三遊亭圓生 三木のり平
中島マリ
漫才ブームの芸人 お笑いスター誕生
柳家金語楼
 柳家金語楼は真打ちになった次の年、1921年に陸軍に入隊し、翌年に除隊となり、「兵隊落語」(上官に官姓名を聞かれ、上手く答えられない様子を延々と演じていた)で一世を風靡しましたが、1942年に警視庁に落語家の鑑札(当時は何でもかんでも鑑札がないと商売できない制度があった)を返上し、落語家を廃業しました。

 従って、戦前の落語家ですが、戦後はコメディアンとして活躍し、特にNHKの「ジェスチャー」で茶の間の大人気を博しました。私が知っているのは、ジェスチャーで口を突き出して「たこ踊り」をする金語楼の姿です。
ジェスチャー 漫談四季(冬)
林家三平
 7代目林家正蔵の長男として生まれるも医師を目指していました。しかし徴兵で夢破れ、戦後、落語家になりました。まもなく正蔵が死去したことにより、いろいろな苦労があったようですが、1955年に現TBSの演芸番組の司会者に抜擢されてから、三平ブームが巻き起こります。有名なのは「どうもすみません」というセリフと額にげんこをかざす仕草ですが、元々は父正蔵が客いじりの時に使っていたそうです。

 古典落語を演じている記憶はありません。有名になってからは落語家と言うよりも、漫談家として人々の記憶に残っているのです。若い頃は、絶句したり、登場人物の名前を忘れることが多く、古典落語の下手な男として仲間内では有名だったようです。

 「歌って踊って大合戦」のハイテンション振りは尋常なものではありません。圧倒的な迫力がありますが、残念ながら動画は削除されてしまいました。
二代目 広沢虎造
 広沢虎造と言っても、若い世代の方々だけでなく、同年代の方でも知らない人が多いでしょう。何しろ1959年に脳溢血で倒れ、言語障害が直らないまま、64年に亡くなられた浪曲師ですから。しかしテレビが普及する前はラジオでの浪曲に人気があり、関東節と中京節をミックスして作り上げた独特の虎造節が一世を風靡しました。それこそ日本中知らない人はないくらい、と言っても過言ではないでしょう。

 浪曲は元々、落語のように面白い芸能だったのですが、戦争を経験することにより、以前からあった軍記物に力を入れ、へなへなした曲調の節回しが隅に追いやられ、今ではなんだか勇ましいのが浪曲のようになっています。広沢虎造もその一人ではありますが、「虎造節」と呼ばれる独自の節が絶品で、ラジオの深夜放送が終了する朝5時頃からの浪曲番組で「虎造節」を聞いていました。尤も、すでにその時には故人で、録音を聞いていたわけですが。

ただ、当時でも浪曲を聴いている中学生は少し渋すぎましたね。でも後日、私はカセットテープで虎造全集を買いました。なお、下の動画はいずれも広沢虎造映画出演の時のものです。
清水次郎長伝 七変化狸御殿 三十石船 石松と見受山鎌太郎
平和ラッパ・日佐丸
 「平和ラッパ・日佐丸」は漫才コンビで、それぞれ3代目・6代目までいますが、ここで言うコンビは2代目の兄弟コンビです(日佐丸の死後、妻とコンビを組み、さらに代々の日佐丸とコンビを組みました)。「先祖代々過去帳一切のアホ」を売り物にしていましたが、舞台を見ていても平和ラッパの頭脳の回転の良さがうかがわれました。

 眉毛のところで切りそろえたおかっぱ頭に出っ歯という印象に残る丸顔は、今も私の脳に刻まれています。1975年に亡くなっていますので、私が見ていたのは2代目コンビの最後の瞬間だったのです。それでも印象に残っているのは相当にインパクトがあったからでしょう。

平和ラッパ・日佐丸(27秒と短いものしか見つかりませんでした)
砂川捨丸・中村春代
 漫才が萬歳であった頃の面影を残していた最後の芸人が砂川捨丸です。漫才の起源を遡るとさまざまな芸能が出てきますが、直接的には狂言の太郎冠者・次郎冠者のコンビにも似た「太夫・才蔵」による門付け(一軒一軒訪問して門口で芸をすること)の祝福芸である萬歳に行き着きます。いわゆる「三河万歳」や「伊勢万歳」などです。

 そしてこれとは別に「祭文」という芸能があります。これは山伏姿で、錫杖に付けた鈴を振り鳴らし、「でろれ〜ん、でろれ〜ん、で〜んで〜ん、で〜ろれ〜ん、でんでろれ〜ん」と唱え、やがて祝詞のような歌に入っていくのですが、これが明治時代にお座敷芸に取り入れられ、やがて「江州(ごうしゅう)音頭」と呼ばれるようになります。この江州音頭の一座が大人気になり、旋風を巻き起こすのですが、これに「萬歳」が融合して「漫才」の原型ができあがります。ちなみに捨丸の兄は江州音頭をやっていました。

 その当時の形が、紋付き袴姿で鼓を打ちながら、「〜〜尽くし」や「〜〜数え歌」の形でおめでたいことを面白おかしく語るスタイルなのです。そして砂川捨丸は終生そのスタイルで漫才をやり通しました(尤も背広姿の写真も存在します)。それが特徴的に表れていたのが、「干支尽くし」とでも言うのか、「え〜子年生まれとせんえ〜ええ」で始まる、生まれ年の干支による性格判断・運勢判断の歌だったと思います。

 YouTubeでは動画も録音も見つかりませんでしたが、とあるブログで14分余りの録音を見つけました。
砂川捨丸・中村春代
早野凡平
 名前は「凡平」ですが、その芸は他に演じている人がなく、「平凡」どころか、唯一無二のものでした。「ホンジゃマー」と言いながら、帽子をあれこれひねくり回し、「ナポレオン」と言うと、ホントにナポレオンに見えましたからたいしたものです。合間にぶつぶつとしゃべりながら、あるいはボソボソと歌いながら、「神父さん、汝と汝は今何時」などという、あのすっとぼけた味は他の芸人にはなかったものです。

 あの芸は師匠のパン猪狩から500円で買ったと言われていますが、元々はヨーロッパの古典的な芸ですから、真偽のほどは明らかでありません。動画の「The TABARIN HAT」はヨーロッパでの芸の名称で、外国の方が演じています。
早野凡平 早野凡平 The TABARIN HAT
東京コミックショウ
 「東京コミックショウ(ショーではありません)」と言っても、もしかしたらお忘れかも知れません。「ショパン猪狩」と言うと一層お分かりにならないかも知れませんが、「レッド・スネーク、カモン」のおじさんと言えば、40代後半以上の方なら、知らない人はいないでしょう。

 ターバンにベスト、派手なアラブ風のパンツで登場し、「こんにちは」の挨拶とともに、アラブ風パンツがずり落ちる、というお決まりの出だしから始まる「蛇遣い」の芸。赤・黄・緑のぬいぐるみの蛇を台の中で操っていたのは、最初は相方の男性でしたが、彼が独立してからは奥さんが務めるようになりました。最後に奥さんが顔を出してオチとなる、単純と言えば単純な芸ですが、昭和32年、結成(最初は東京コミックブラザーズ)以来の芸です。

 この芸も「早野凡平」と同様、パン猪狩から受け継いだ芸だと言われています。名前から推測できる通り、兄弟(パン猪狩が兄)です。「小パン猪狩」が「ショパン猪狩」になったそうです。下のコマーシャルの最後にショパン猪狩が登場しますが、動機のない出番というか、必然性のない登場と言いますか、製作者の遊び心で作られたCMですね。動画は削除されてしまいました。

コマーシャル
鳳啓助・京唄子
 1956年、つまり私の生まれた年にコンビを組みました。いっときは夫婦漫才でしたが、途中から「他人漫才」に戻りました。鳳啓助も「アホ」で売っていましたが、漫才の台本は鳳啓助が担当しており、芝居の脚本も書いていました。

 この二人にまつわる思い出は特にないのですが、鳳啓助の顔を見ると、いつも「平和ラッパ」と重なりました。髪型も似ていますし、鳳啓助をもっと丸顔にして、出っ歯にして、悪人面にすると平和ラッパになるような気がしたものです。
鳳啓助・京唄子
中田ダイマル・ラケット
 通称「ダイ・ラケ」です。眼鏡の方のダイマルは兄とともに中田松王・梅王、のちに中田ダイマル・デパートとして漫才コンビを組んでいたが、兄の病死により、工員だった弟とコンビを組み直し、「ダイ・ラケ」となりました。

 ウィキペディアでは「正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、天性の発想力による奇抜なシチュエーション展開で笑わせるタイプの天才肌漫才」「客席を笑わせる間隔の短さでは、このダイ・ラケを超える漫才はいまだに登場していないと言える。このため、ダイ・ラケコンビの漫才は、「3秒に1回笑わせる漫才」と言われることもある」と評価されています。

 確かに今見ても非常に面白い漫才です。後世の視聴者の鑑賞に耐えうる芸を、はたして今の芸人と自称する「タレント」が残せるでしょうか。
ダイ・ラケ 漫才 1/2 漫才 2/2
エンタツ・アチャコ
 「横山エンタツ・花菱アチャコ」が正確な呼び名だと思います。「萬歳」を決定的に「漫才」に変えたのが、このコンビと言えるでしょう。背広姿で漫才を演じた最初のコンビでもありますし、「しゃべくり漫才」と呼ばれる、いわば「漫才」の王道的スタイルを作り上げたのもこのコンビです。このコンビでたくさんの映画も作られています。

 こうしたことから、長いコンビ歴を想像しがちですが、実際には1931年頃から34年までの3年ほどしかコンビを組んでいません。映画の大半はコンビ解消後のものです。従って私の記憶にあるのは、「スチャラカ社員」の支社長やホームドラマでお父さん役を演じる「花菱アチャコ」です。「横山エンタツ」はあまりテレビではお目にかかりませんでした。ちなみに「花紀京」は「横山エンタツ」の息子です。

 一番有名な「ネタ」は「早慶戦」ですが、音源が見つかりませんでしたので、「エンタツの家庭」にリンクしました。「やす・きよ」のテンポに慣れている私たちには、正直に言って退屈です。当時よりも笑いが進化していると言うことでしょう。
「エンタツの家庭」
獅子てんや・瀬戸わんや
 「親亀の上に子亀を乗せて〜〜〜〜」の早口風言葉が流行しましたが、それよりも「ぴっ、ぴっ、ぴーよこちゃんじゃ、アヒルじゃ、ガーガー」という、なんとも意味不明で不条理な表現が私は気に入っていました。今の漫才では「ボケとつっこみ」という、何を勘違いしたのか、妙な分析をしてつまらないやり取りやコントをしているコンビが多いのですが、二人のやりとりには独特の調子があり、「ボケとつっこみ」の単調な漫才にはない面白さがありました。

 下の動画でも分かりますが、同じ話を繰り返すという不条理な会話をしていますが、この不条理な会話が持ち味でしたね。大柄な方の「てんや」は元警察官で、その後、自衛隊の前身である警察予備隊で分隊長、小柄な方の「わんや」は大阪市役所勤務という役人だったそうです。
歯医者
渥美 清
 渥美清をこのページで取り上げることに違和感を覚える方もあろうかと思います。しかし、渥美清は元々、浅草のストリップ劇場から出てきた芸人です。さらにその前は「上野でヤスと言えば知らないものはなかった」(本名:田所康雄、小林信彦著:おかしな男より)ほどの「テキ屋」でした。もっとも「テキ屋」出身の芸人は昔は珍しくなかったようです。

 渥美清と言えば、善良なる「寅さん」としてのイメージが強いし、それしか知らない世代もありますが、「寅さんシリーズ」では渥美清の面白さの半分も出ていない、と言うのが昔を知る芸人の通説のようです。その渥美清の最高の映画は「拝啓 天皇陛下様」でしょう。「軍隊は天国じゃ」と考えている「ヤマショウ(山田正助)」の、無知で粗暴で危険な男、これが渥美清の本領ではないでしょうか。

 この他に、中村錦之助の映画「沓掛時次郎 遊侠一匹」(66年)における「身延の朝吉」の演技が評価されています。これらに「寅さん」を加えて考えると、渥美清はどうも「時代遅れの粗暴な男」を演じるところに魅力を感じさせていた役者だったようです。
ヤマショウ ヤマショウ ヤマショウ 夢で逢いましょう
てんぷくトリオ
 「てんぷくトリオ」だけでなく、お笑い関係の動画は極めて少ないのが残念です。もともと日本では「笑い」の芸が低く見られており、映像を残す価値など斟酌されなかった時代が長く続いていたのです。下の動画も、三波伸介の特集番組の映像で、しかもBがありません。

 メンバーの戸塚睦夫が早逝し、さらに三波伸介も52歳で亡くなりましたが、その後の伊東四郎の活躍を考えれば、お笑い界で大きな存在になり得たトリオではなかったでしょうか。

 このほかに、トリオものでは「トリオスカイライン」「ナンセンストリオ」「トリオザパンチ」「脱線トリオ」などなど、取り上げたいトリオがあるのですが、いずれも動画が見あたりませんでした。

わが夢は喜劇王@/5 わが夢は喜劇王A/5

わが夢は喜劇王C/5

わが夢は喜劇王D/5
人生幸朗・生恵幸子
 言うまでもなく、「ぼやき漫才」の雄です。二人の最盛期には特に何とも思いませんでしたが、こういうタイプの漫才師がいなくなりましたね。しかし漫才とコントの区別も付けられないようなコンビが増えた現状では、漫才師そのものがいなくなったと言う方が正しいのかも知れません。

 「責任者、出てこい」が人生幸朗の口癖でした。これを今の「お笑い芸人」たちは「ギャグ」と呼びますが、これは「ギャグ」ではありません。「ギャグ」というのは、たとえばロイド兄弟の映画で、ハロルド・ロイドがレンズの入っていない眼鏡の「レンズ」を拭く仕草、ずり落ちるズボンを上げ続ける仕草のことです。映画の流れに無関係に演じられる「仕草」または「セリフ」のことを「ギャグ」と呼ぶのです。

 「ギャグ」の何たるかも分からない「お笑い芸人」など、まさに「お笑いぐさ」です。もっとも、過去の芸人たちが、あるいは人生幸朗が分かっていたかどうかは、別の問題ですが、後世に残る芸人たちは言葉は知らなくても直感的にギャグを演じていた、とは言えるでしょう。
ぼやきアラカルト ぼやき講座'78
夢路いとし・喜味こいし
 ダイマル・ラケットのコンビと双璧をなしていた漫才コンビ。この二人も兄弟コンビでした。夢路いとしのとぼけた味がよかったですね。若い時も面白かったけれども、ビデオを見ると、年齢を重ねてからの漫才も面白いです。ぜひご覧下さい。

花嫁の父 1 花嫁の父 2 おかずと
近所付き合い
ジンギスカン 70才からの挑戦
横山やすし・西川きよし
 通称「やす・きよ」、もはや伝説と化しています。「横山やすし」については「天才」と表する向きが多いのですが、恐らくは「西川きよし」とのコンビだったからこそ、その才能が発揮されたのでしょう。確かに今時の「漫才コンビ」のように、「ボケ」と「つっこみ」に単純に分かれた漫才ではなく、役割が変幻自在で、どう展開するのか、読めない面白さがありました。これがまさしく「しゃべくり漫才」なのでしょう。

 「横山やすし」が何度も不祥事(犯罪)を犯しては、テレビから閉め出され、コンビとしての漫才芸を十分に楽しめなかったのは、客の側である私たちの不幸だと言えるでしょう。それほど面白いコンビでした。しかし著作権の関係でしょうが、ネット上に動画はほとんどないようです。下の「西川きよし・太平サブロー」の動画は、「横山やすし」亡き後、替わりに「太平サブロー」が演じているネタです。
僕のふるさと やすきよ復活 西川きよし・太平サブロー
漫画トリオ
 今では上岡龍太郎が当時の「横山パンチ」であることを知らない人も多いでしょう。のちに大阪府知事になり、不祥事をおこした「横山ノック」の「たこ踊り」は、いわゆる珍芸としても上質のものではありませんから、私は好きになれませんでした。残念ながら動画がありません。
上岡龍太郎 芸人論
フランキー堺
 40代以下の世代にとっては「フランキー堺」と言ってもあまりピンと来ないかも知れません。小沢昭一の本によれば麻布中学で、銃で撃つ真似をされたら、撃たれた演技をしなければならないというルールがあり、フランキー堺は救急箱を取り出し、苦しい息の下で、針に糸を通し、傷口を縫うシーンまで演じ、出色のできだったと語っています。

 また前出の小林信彦の著書の中で、小沢昭一はこうも語っています。「日本中のコメディアンを集め、今こういう状況です、はい、転んで下さい、とやったら、その転び方は日本で一番上手いでしょう」

 私自身はフランキー堺の絶頂期をリアルタイムでは見ておらず、大学時代に映画を見たり、テレビの再放送を見たりしているだけですが、日本映画史上の傑作と評される「幕末太陽傳(川島雄三監督)」の「居残り佐平次」、超有名なテレビドラマ「私は貝になりたい」などを見ると、やはり素晴らしい芸人だったんだなと思います。もっとも芸人と言うより、コメディアンと言うべきでしょうか。8代目桂文楽の弟子で、桂文昇の名前も持っていましたから、芸人が相応しいかも知れませんが。

 フランキー堺が天才的と言われる「ドラマー」だったことを忘れている人は多いでしょう。シティ・スリッカーズというバンドのリーダーで、のちにクレージー・キャッツのメンバーになる植木等と谷啓も所属していました。ジョージ川口とのドラム合戦は有名ですよね。ドラマーとしての映像は見あたりませんでしたが、画像と音だけでもお楽しみ下さい。
ドラム合戦 喜劇駅前飯店 駅前弁当 駅前団地
駅前温泉 駅前茶釜 駅前旅館 伴淳&フランキー 1
伴淳&フランキー 2 倍賞千恵子と フラさん
ハナ肇とクレージー・キャッツ
 ハナ肇とクレージー・キャッツはフランキー堺と同時期に活躍しましたが、フランキーと同様、もともとはミュージシャンです。コメディアンとしての最盛期はダントツに植木等の人気が高く、植木等主演の映画が何本も作られ、その殆どがヒットしたようです。その後、谷啓の「ガチョ〜ン」が売れ、日本版モンティパイソンを目指したテレビ番組「ゲバゲバ90分」で、ハナ肇の「アッと驚くタメゴロウ」が流行りました。

 小学生時代、フランキー堺は記憶にありませんが、植木等の「スーダラ節」が大流行し、子どもたちが「ス〜イスイ、スーダララッタ、スラスラスイスイスイ」と右膝の前に垂らした右腕を揺すりながら歌っていました。この記憶の背景には、いつも小学校の職員室と給食室の間の、確か井戸があったと思うのですが、その辺りの風景が浮かんできます。

 その風景を背景にした記憶がもうひとつあり、それはキューバのカストロに関することなのですが、小学生の時に果たしてカストロを知っていたのかどうか。カストロは「5分で説明できない事柄は自分のものになっていない」と言っていたそうで、人の出入りが激しいこともあって、国連の大会議場で5分間の演説を8時間にわたって繰り返した、というエピソードが小学校の井戸の風景とともに浮かんでくるのです。

 「馬鹿まるだし」は山田洋次作品で評価の高い映画です。ここにアップしたのは、ラストシーンの植木等の部分ですが、残念ながら主演のハナ肇の部分はありませんでした。この映画は明らかに「寅さん映画」と同じ構造をしており、「寅さん映画」の原型と言えるでしょう。
安田紳サックス 植木等ギター 石橋エータロー
桜井センリのピアノ
谷啓スターダスト
黄金伝説@/5 黄金伝説A/5 黄金伝説B/5 黄金伝説D/5
ステージ スーダラ節ほか 十二番街のラグ ハナ肇と山田洋次
馬鹿まるだし なつかしい風来坊 クレージーとドリフ
トニー谷
 ここにアップした映像はドラマではなく、ステージや映画での歌です。私たちの世代は「家族対抗歌合戦」の司会者として知っているだけだと思うのですが、妙な英語交じりの日本語を話す日系二世風キャラクターの芸人です。

 「レディース アンド ジェントルマン アンド おとっつぁん おっかさん」と叫びながらソロバンをかき鳴らす姿、「あなたのお名前 なんてぇの」と歌いながら、やはりソロバンを鳴らす姿、滑稽ですが、大成できなかった異能の芸人。その人気絶頂期に長男が誘拐されるという悲劇があり、以後、人気は低迷しました。
さいざんすマンボ さいざんすマンボ ぶくぶくマンボ 歌う弥次喜多黄金道中
イッセー尾形
 イッセー尾形は「お笑いスター誕生」というテレビ番組で初めて見ました。あの時は工事現場で働く作業員がお昼の弁当を食べている一人芝居でした。弁当を食べる仕草と言い、人物の描写力と言い、全体としての批評の鋭さと言い、愕然としました。以来、テレビ番組欄で名前を見かけると見るようにしていたのですが、どうもテレビには出ないようにしているらしく、目にする機会が殆どありませんでした。何年前だったか、嬉野町のホールに出演したことがあり、嬉しそうに私は妻と見に行きました。

 たくさんの動画を見つけました。私のセンスでは「駐車場」と「ヘイタクシー」が最高です。観客が想定していなかった展開で、崩壊してゆくサラリーマンの姿がリアルに描かれています。「バーテン」はたくさんのバージョンがあり、どれも面白いのですが、ひとつしか見つけられませんでした。
幸せ家族 1 幸せ家族 2 中華屋 1 中華屋 2 指導員
結婚相談所 政治家 プラットホーム 画家パーティー フロント
駐車場 1 駐車場 2 引越し 1 引越し 2 ハンコ押せば 1
ハンコ押せば 2 野球応援 1 野球応援 2 倒産男 1 倒産男 2
アメリカ帰り 1 アメリカ帰り 2 郵便簡易保険 1 郵便簡易保険 2 郵便簡易保険 3
医者の新築 1 医者の新築 2 聞いてねえな、お前 1 聞いてねえな、お前 2 ヘイタクシー 1
ヘイタクシー 2 バーテン バーテン2 サラ金のとりたて
まだ帰らないで 1 まだ帰らないで 2 シャッタープリーズ 1 シャッタープリーズ 2
桂 枝雀
 桂枝雀―――落語という表現形式の中で、生涯にわたって苦闘を続けた希有な表現者、こう言うと大げさでしょうか。若い時には極めてきまじめに落語を演じ、笑いを取ることのできない苦悩のあまり、それまでの芸風とは180度転換するような表現形式を編み出し、一躍、落語界における時代の寵児となりました。

 と記述すれば何と言うこともないが、重い鬱病に苦しみ、ある医者のおかげで社会生活に復帰することができたものの、「ずっと笑いの仮面をかぶり続ければ、いつかその仮面が自分の顔になる」との決意に基づく、実に悲壮な、明る過ぎるほど明るいオーバーアクションの芸風への転換でした。しかし、私たちはその内面を知らず、20年以上にわたって枝雀落語を笑い続けていたのでした。

 悲報に接した時、ファンの大半はただ呆然としたのではないでしょうか。そして答えのない「どうして」の問いを発することしかできませんでした。
時うどん1/3 時うどん2/3 時うどん3/3 上燗屋
宿替え1/4 宿替え2/4 宿替え3/4 宿替え4/4
桂枝雀七回忌1/8 桂枝雀七回忌2/8 桂枝雀七回忌3/8 桂枝雀七回忌4/8
桂枝雀七回忌5/8 桂枝雀七回忌6/8 桂枝雀七回忌7/8 桂枝雀七回忌8/8
英語落語1/4 英語落語2/4 英語落語3/4 英語落語4/4
幽霊の辻1/2 幽霊の辻2/2 おもいでや1/2 おもいでや2/2
古今亭志ん朝
 いわゆる正統古典落語家としては、古今亭志ん朝(3代目)と柳家小三治(10代目)が気に入っていました。小三治は「小言幸兵衛」が絶品だと思うのですが、残念ながら小三治の動画が見あたりません。古今亭志ん朝だけでも紹介しましょう。

 彼は20世紀を代表する名人と言われた5代目「古今亭志ん生」の息子であり、初代「古今亭志ん朝」の実弟、という「名門」の血筋に生まれています。それだからこその苦悩もあったでしょうが、「圓朝を継げるのはこの人しかいない」と言われるほどに精進を重ねました。しかし残念ながら63歳で亡くなりました。※「圓朝」については「三遊亭圓朝」をウィキペディアで見て下さい。落語界にもこんなことがあるのかと言うことが分かります。

 下の動画の最後「岸柳島」の2本は志ん朝の父親「志ん生」の落語です。「文七元結」は7/8が見あたりませんでした。
愛宕山1/3 愛宕山2/3 愛宕山3/3 風呂敷1/2 風呂敷2/2
首提灯2/3 首提灯3/3 干物箱2/3 干物箱3/3 たがや1/3
たがや2/3 たがや3/3 大工調べ1/5 大工調べ2/5 大工調べ3/5
大工調べ4/5 大工調べ5/5 文七元結1/8 文七元結2/8 文七元結3/8
文七元結4/8 文七元結5/8 文七元結6/8 文七元結7/8 文七元結8/8
岸柳島1/2 岸柳島2/2
三遊亭圓生
 6代目三遊亭圓生は父親の事業失敗と博打のため、母子で芸人の世界に飛び込み、母は三味線弾き、当人は子ども義太夫から出発し、のちに落語家になりました。子どもの頃から物覚えがよく、脇で講座を聴いているだけでネタを覚えたそうで、それが財産となってのちには昭和の名人と称されるようになりました。口演する演目は当時の落語家の中で最も多いと言われていました。

 動画にある「居残り佐平治」は、「フランキー堺」主演の映画「幕末太陽傳」の下敷きになった話です。
火事息子1 火事息子2 火事息子3 火事息子4 猫忠1/4
猫忠2/4 猫忠3/4 猫忠4/4 居残り佐平次1 居残り佐平次2
居残り佐平次3 居残り佐平次4 居残り佐平次5 八五郎出世1 八五郎出世2
八五郎出世3 夏の医者1 夏の医者2 なめる なめる2
なめる3 なめる4 雁風呂 雁風呂2 雁風呂3
三木 のり平
 三木のり平のことは誰でも知っています。それは「桃屋」のコマーシャルのキャラクターとして知っているわけで、私にしても落語「らくだ」を舞台化した劇場中継をテレビで見た記憶があるくらいであることに思い至り、少し愕然としてしまいました。無論、様々なテレビ番組に顔を出していましたが、明確な記憶はありません。ネットで探しても、動画の殆どすべてが「桃屋」のCMでした。

 CMはいずれも懐かしいものですが、私が一番よく見かけたのは「江戸むらさき」と「温泉篇」「クレオパトラ篇」でした。「社長道中記」と「社長洋行記」は映画の予告編です。

 いつぞやテレビでインタビューを受け、本名「則子」の定期券を駅員にとがめられ、「ただし」と読むんだと一生懸命に説明した話をしていたのが印象に残っています。
紅白コント 社長道中記 社長洋行記
中島 マリ
 中島マリの物まねは驚異的と言ってもいいでしょう。元々、声色(こわいろ)と言って歌舞伎役者の声を真似ることから始まったのが物まね芸ですが、コロッケの登場で顔真似なしにはこの芸は成立しなくなりました。そして極めつけが中島マリの芸でしょう。岸田今日子と市原悦子は絶品です。
安藤優子 由紀さおり 八代亜紀 石川さゆり
野際陽子 中島みゆき 黒柳徹子 中村玉緒
奥村チヨ デヴィ夫人 岸田今日子 市原悦子
漫才ブームの芸人
ザ・ぼんち テレビ離婚式 1 テレビ離婚式 2 ツービート ツービート
B&B のりお・よしお 漫才ブームの
光と影pt1
漫才ブームの
光と影pt2
漫才ブームの
光と影pt3
紳竜の研究
お笑いスター誕生
 お笑いスター誕生からはたくさんの芸人が生まれました。と言ってもこの番組はアマチュアだけでなく、プロの参加もOKでしたから、多くの若手芸人が出場しています。むしろ全国区で名前を広めようという、若手の登竜門的な要素がありました。ですから10週勝ち抜き(再チャレンジを含め、通算でも可)で得られるグランプリの10組はいずれもプロ(「とんねるず」や「シティ・ボーイズ」など)でした。ちなみに、ストレートでグランプリを得たのは、「B&B」と「おぼん・こぼん」、そして「怪物ランド」の3組です。

 「ぶるうたす」をご存知でしょうか。「お笑いスター誕生」で8週勝ち抜きの金賞に輝いた「筋肉漫談」の芸人です。「筋肉ニュース」とか「筋肉予報」などのネタを、ボディビルのポーズで演じていました。結構面白く、その後、テレビに出ていたのですが、いつしか見かけなくなりました。実は、「ぶるうたす」は大学時代の学友です。彼は当時、「へらくれす」を通称にしており、「へらくれす」から「へーちゃん」と呼ばれていました。

 テレビでは見かけませんが、「アゴ&キンゾー」の「アゴ勇」とコンビを組んでいたこともあり、ウィキペディアにも出てきますし、検索すると、いろんなホームページやブログで名前を見かけます。今は牧伸二率いる「東京演芸協会」の理事をしており、東洋館などの演芸場に出演しているようです(「ミスター梅介」も)。動画も画像も見あたりませんでしたので、下の「ぶるうたす」は彼について一番詳しいと思われるサイトへのリンクです。

 タージンは7週勝ち抜きの銀賞です。動画では「タージン」の面白さが伝わるものがなく、非常に残念です。今は、「関西No.1レポーター」「ロケの神様」などと呼ばれ、レポーター中心の仕事をしているようですが、「お笑いスター誕生」に出てきた時(桃山学院大の落研所属)の、プロを越えるほどの落語の面白さには、本当にビックリしました。

 「関根勤」の旧芸名は「ラビット関根」と言います。これは桂三枝に付けて貰ったそうですが、その事情を知らない萩本欽一に、本名にするようアドバイスされてしまい、「関根勤」になったそうです。「お笑いスター誕生」に出てきた時は、かなり変わった芸風という印象ですが、こんなに長く人気を保つような感じはありませんでしたので、努力の積み重ねなのでしょうね。残念ながら「ラビット関根」時代の動画は下のもの程度しかありません。当時の芸が見たかったのですが。

 動画がないので紹介できませんが、「アゴ&キンゾー」や「ミスター梅介」、「でんでん」、「キッチュ(松尾貴史)」なども好きでした。

ダウンタウン とんねるず ラビット関根 怪物ランド
小柳トム シティボーイズ ぶるうたす 象さんのポット
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